横国軽音の日常

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「入部までの軌跡」vol.15

これから小生が軽音楽部に居る理由を云えと遊戯の係の者が云ふのだが、正直物心ついた時には音楽に染まってひた小生には、そんな理由などてんで理解の及ばないところなのである。まあそれでも書けと云はれたものは仕方がないので、こうして筆を執るのである。若輩者の音楽歴について、駄文を読むことに無駄な時間を費やしてくれれば幸いである。

 

小生が最初に触れた楽器はぴあぁのなのであるが、エレキテルを使ふぴあぁののどちらも習得していたのである。今現在もそのぴあぁのをずっと継続しているのであるが、初期の頃からオンソンブレ、において地味で面白くもないべぇすをやりたがる、という異端者の片鱗が見え隠れしていたことは云ふまでもない。


中等學校において吹奏楽隊に入隊するとその異端さは度を超え、さして人気の無かったカントラバス、まあべぇすを希望した結果、涙を流すことなく、むしろ歓迎されて三年間を過ごしたのである。(この頃、べぇすは希望する楽器になれなかった溢れ者が担当する楽器であり、べぇすをやるくらいなら退隊する隊員も居た程である。)
高等學校においては吹奏楽隊のコンクーレに辟易し、コンクーレのない軽音楽でエレキテルを使ふべぇすに傾倒していったのである。この頃から、皆がべぇすの良さを分かってくるなど、ようやく世界がこの若輩異端者について来るのだが、べぇすに興味を持ち始めた皆が初心者の中、べぇすに心酔し三年と云ふ経験がある小生は言葉の通り、「無双」したのである。ただ、小生はエレキテルについてエデソンと雷くらいしか知らない無知であったため、最低限の装置のみでべんべん、ぼんぼんとべぇすしていたわけである。
無事に大學生となり、世間一般で云ふところのエリィトコォスを進まん(大學に進めるのは大日本帝國の中でも高貴で裕福な家柄のみである。)とする小生は自由を手に入れたのであるが、そこでもやはり音楽の染みは取れないのである。当たり前のように軽音楽に心酔し、幼少より嗜んでいたじやずにも傾倒するのである。その生活を続けた結果が今の小生である。小生の驚いた事には、やはり世界は広いもので、小生のような異端者が大學には数多居たと云ふ事であるだろうか。(しかし年を経る毎にべぇすが増えると言ふことは、べぇすが異端ではなくなるということになり、いずれ異端ではなくなるべぇすに興味を持たない方が異端なのでは無いだろうか。)

 

ここまで駄文に時間を費やした読者様にはわかると思うが、これは理由などでは無く小生の遍歴である。つまりこの乱文を読むことは正真正銘の無意味な時間であり、時間を持て余した高等遊民の遊戯なのである。強ひて小生が軽音楽部に居る理由を云ふとするのであれば、小生の内なる興味によって居ることが決定してひた、であろうか。さらに小生の戯言を書き連ねるのなら、小生は最近ぽるかどっとすてぃんぐれいという鱏の研究を行い、2003年に東京で発生した事変についての書籍を読み、林檎嬢というれでぃに心を奪はれているのである。


ここで書くことが無くなった故、小生が惰眠を貪る為に筆を置く事にする。

 

追記:かの鴎外先生や漱石先生のような文語文で綴りたかったのだが、小生の乏しい知識では遥か遠く届かなかった。今で言ふところの「ぴえん🥺」である。

 

 

執筆:ぐっち

文責:発地